天下茶屋日記15

彼女Tさんは夏になると下着屋の仕事が

自由が丘から、武蔵小山のパルムという商店街に異動することになる。

Tは通勤が遠くなることが不満みたいで、文句を言っていたが仕方なく了承したようだった。

小売の下着屋の仕事は、検品、品出し、発注と話しに聞くと簡単そうだが、そこに販売、接客があるので大変そうだった。

僕はたまに武蔵小山にTを迎えに行って
商店街の張り紙がいっぱいあるケーキ喫茶をご馳走してもらった。

昔からある店と、チェーン店とごちゃごちゃした商店街は魅力的に映った。

武蔵小山は生活しやすそうだなと思う。

天下茶屋日記14

東京にきて初めての夏は猛暑で、僕は

夏バテになるのも時間の問題と感じていた。

特に住んでいるマンションが日当たりが良く、クーラーの効きも悪くて参った。

近くの公園によく涼みに散歩していた。

すこし遠いが多摩川まで歩いたこともあったが、すごい坂を下るので行きは良いが帰りにはバテてしまい、一度行ったきりだった。

夏なので浴衣を着て花火大会に行きたいと彼女がいいだしたので、荒川花火大会に行くことにした。

花火会場に着くまでの電車は異様な混み具合で僕らは行くまでに疲れてしまった。それも、その日は雨のち雷予想で、着くなり豪雨で花火は少し上がって中止になってしまった。

彼女は浴衣を着ていたので雨の中歩くことができず、雷と雨を見ながら30分程
雨宿りして帰路についた。

あとでTV中継もすごい大変だったと知った。

天下茶屋日記13

東京の奥沢は、閑静な住宅街で歩いて

自由が丘に行くことができ、生活するに

は適していたが、物価は高いと感じていた。

僕らはいつもスーパー青葉に7時以降に出かけ刺身の半額を買い、晩酌するのが楽しみだった。

僕も彼女も魚が好きだったからだ。

自由が丘はスイーツの町らしいが、あまり住んでみるとそこまでスイーツに特化してるとはは思わなかった。

スイーツフォレストにも行ったが、ふーんといった感じだった。

名前は忘れたが自由が丘と九品仏の間にある踏み切りの前にあるケーキ屋さんの
ロールケーキは最高に美味しかった。

僕らはいつもひとつ買って2人で分けて食べては、舌ずつみを打った。

もう暑い夏は目前だった。

天下茶屋日記12

印刷会社の仕事は給料は良かったのだが、拘束時間が長く彼女との時間

物書きの時間がなく彼女に辞めると告げると、

うれしそうに「そう」と答えた。彼女も仕事しながらご飯やお弁当をつくるのが

大変みたいだった。

僕自身も朝6時に起きて帰ってきたら10時超えている生活に参っていた。

結局3ヶ月ぐらいでやめて、彼女との時間と、本を読んだり、映画を見たりという

生活をすこしの間しようと決めた。

その頃には東京の生活にもなれ、自転車で下北や、渋谷まで行けるぐらいに地理

も把握でき東京は生活しやすい場所だなと感じた。

また自然も都会に多く、等々力渓谷にいったり、九品仏の仏像見に行ったり

町ぶらするのが新鮮だった。

彼女Tは最初東京に、いいイメージはないみたいだったがその頃には

世田谷が好きになっていたようだった。

天下茶屋日記11

印刷会社の業務は単純なものだった。

印刷する際、版画の様に印刷するので版を作るのだが、お客さんからもらったデータをPCから版に焼くと言う作業だった。

単純なのだが一日に膨大な量をこなさなければならず、また機械はアナログなため鉄版

のセッティングを行うのが大変だった。鉄版はかなり重く枚数が50枚単位でしか入らずその都度、入れ替える作業があり、体にきた。

またデータを手動で一回一回版のサイズ、調整、向き等確認しながらなので

ペースをつかむまでは大変だった。

1週間程して仕事もなれてきたのだが、同じ部署の人で、少し変わった言動で、周りの

人からも、あまりあの人に関わらない様に

と暗黙のルール的なものがある事を知る。僕自身はその人にあまり教えてもらわなかっ

たが同じ時期に入った人はその人に教えてもらっている時に辞めてしまった。

一度一緒に仕事になった時ぼくが「はい」という回答をしたとき

「はいじゃない、はいわかりましただろ」ということを言われたことがあって

それ以来、僕から話す事もないし、あまり仕事も被らなくなり安心した。

印刷会社では同年代がおらずあまり話のあう人はいなかった。

彼女のTが作ってくれる弁当が唯一の楽しみだった。

 

 

天下茶屋日記10

帰宅して彼女のTに報告すると、喜んでくれて、お弁当作ること言ってくれた。

僕は、仕事が決まって安堵したと同時に、構成作家の仕事に遠ざかったとすこしアンニュイな気分だった。

けど日常は待った無しでやってくる
僕は6時起きで、北千住に8時に間に合うように電車に乗った。

初出勤して、仕事はなにもせず、ただ見ていてくれとの指令がでた。
以前、初日に事故がありそのためらしく
表紙抜けした感じだった。

初日はそんな感じで立ってるだけで終わった。

天下茶屋日記⑨

僕は印刷会社の面接に北千住に向かった。

仕事に応募したものの北千住がどこにあるかも知らなかったので、奥沢から自由が丘まで大井町線ででて、東横線にのりかえ、中目黒までの行き、日比谷線に乗り換え、北千住まで1時間ぐらい乗っていった。電車に乗るのは苦じゃないが、少し遠いなと感じる距離だ。

東京の華やか所しか知らない僕は、北千住が、下町っぽい町で東京の違う側面も知った。

駅からも印刷会社までは15分ぐらいあり面接前に疲れてしまう。

印刷会社は創業も長く、大きな会社だったが、建物は古く、老舗の趣きがある会社だった。

事務所に挨拶し、面接がはじまった。

面接してくれた人は年は60ぐらいの、なんの役職の人が判断もつかず、おじいちゃんの風貌をした人だった。その時点で僕はここで働くと、こんな感じに年を重ねていくんだとすこしとまどった。

しかし、面接に来た手前
働きたい意欲を示し、おじいちゃんは「君は真面目そうだ」との理由でその場で採用するといった。

僕は押しによわく、「ありがとうございます、一生懸命頑張ります」とステレオタイプな答えを返し、働くことが決まってしまう。

帰りの電車もすごく長く感じながら帰路についた。